伊豆の土肥金山について

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1. 西伊豆の土肥金山

 伊豆というと海と山が両方存在し自然豊かで、温泉もある、というまさに観光地といってイメージがあります。海もきれいですし、海産物もおいしい、そんなイメージもあるかと思います。

 筆者も子どもと伊豆方面に行ったことがありますが、タカラガイなどの珍しい貝殻をたくさん見つけることができました。

 西伊豆の土肥といえば、温泉が真っ先に思い浮かぶと思われますが、土肥にはかつて金山がありました。今は土肥金山の跡地は、観光名所として公開されています。

2. 土肥金山の支配

 関東に最も近いといってよいこの金山も江戸時代には重要な位置を占めていました。そもそも、足利幕府のころに、この金山を管轄する奉行が土肥金山を開発したことがわかっっおり、土肥金山が歴史に登場する最初になります。

 伊豆といえば、戦国時代、下克上によって成り上がった北条早雲が拠点としたところであり、北条氏の勢力拡大の一つの要素となったことは想像できます。戦国時代には、金は武力の裏付けとして、そして権力の象徴として大切な役割を担っていたといえるでしょう。ただし、北条氏の金山運営についてはよくわからないといってよいかと思います。それがわかると非常に面白と感じます。

 土肥金山は、隆盛期が2回あったといわれていますが、第1期は江戸時代です。以前述べた大久保長安が金山を運営したとき最初のピークを迎えます。そして、それは、江戸幕府を支えていくことになります。
 そして、二回目のピークは明治から昭和にかけて迎え、昭和40年ころにはその長い役割を終えていきます。

3. 最後に

 本コラムのシリーズの最初のほうで、「権力としての金」から「地上に降りた金」への移り変わりについて述べました。日本の近世は、これらの地方金山によって経済が支えられていたといえるのではないでしょうか。

 日本は金産出ランキングでは上位には出てこない存在ですが、その歴史的、文化的な背景にはしっかりと金が位置し、私たちの精神の古層になんらかの影響を与えているように感じます。

 今回は、伊豆の土肥金山についてと題してお話しさせていただきました。