新しい時代のなかで揺れ動く金

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1.織豊政権の位置づけ

今回は歴史から金をめぐる価値観の変化について考えてみたいと思います。題材の中心は、豊臣秀吉の「金の茶室」です。

秀吉が「金の茶室」をつくらせたことは有名な話で、秀吉の茶の湯への傾倒、金への思いをよく示すこととしてよく取り上げられてきました。そして、その価値観が、「わび茶」を探求している千利休の価値観と衝突したであろうこともよく語られる話です。

秀吉の主君にあたる織田信長も茶の湯に傾倒し、また安土城の天守閣を金箔で輝かせたことを見ても、「金」への思い入れは相当なものがあったと思われます。信長は、宗教権威への挑戦として、比叡山延暦寺を焼き討ちしました。その信長は、安土城を金で飾り付けることで権力を示したと言われています。信長の時代以降は、次の社会への過渡期としての性格を持ち始めました。

2.権力者による金独占、そのひとまずの区切り

秀吉は、中世から近世への過渡期に生き、持ち得た実権のなかで「金の茶室」を作りました。その意識が茶の湯の究極としてのものであったのか、また権力の誇示だけが目的だったのか、今となっては推測するしかありません。信長以降、新しい戦国武将の権力による国家統一に向かうなかで、この「金の茶室」がつくられたことは、権力者が金を独占するひとまずの区切り、ピークであったと感じます。
その「金の茶室」の存在意義に対して問題を提起したのが、千利休のわび茶でした。茶の湯が、身分などに関係なくコミュニケーションをとるものであり、くすんだ色の茶器を使い、無駄を極限まで省いたスタイルは、ゴージャスな金を使って贅を尽くした秀吉の茶室とは完全に対立するものだったと思われるのです。さらに、千利休が商人であったことも江戸時代における商品経済を予感させていると解釈することもできます。

3.商品経済の発展

さて、上記の流れから考えますと、「権力者の金」を否定する価値観が現れることで中世的世界はフェードアウトし、江戸時代と商品経済の発展に特徴づけられる近世に向けて舵が切られたのではないかと思います。江戸幕府は、国内の金山を幕府直轄の天領に指定し貨幣の鋳造を独占することで、商品経済の発展の素地を作りました。江戸時代は、日本における豊富な金産出を背景に、第1回目のコラムで触れた金座と、それを取り仕切る商人が活躍します。
ただ、庶民が金貨を使う、すなわち、「地上におりた金」の時代に入るのはしばらくあとであり、もう少し時代が流れるのを待たなければならなかったようです。