足利義満を取り巻く金に関すること

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1. 足利義満と金閣寺

 三島由紀夫の小説『金閣寺』は、仏教の腐敗への批判と個人的な感情から金閣寺に放火する主人公が出てきます。この金閣寺は実際、1950年に焼失していますが、歴史上何度か焼失したり、建て替えられたりしています。1階部分を除き金箔で覆われ、見事な外観を見せていて、海外に紹介される日本文化・文物の中には必ず出てくるといってよいでしょう。

 室町幕府の足利義満は、中国を敬慕し、そのため、3階部分を中国の禅様式で作ったとのことです。義満は、武家の権力の誇示と中国への憧れを、金でもって表現しました。現在の金閣寺には金沢の金箔がふんだんに使われているようです。義満が建立したときにはどのような姿をしていたのか見てみたいと想像してしまいます。

 奥州藤原氏、豊臣秀吉などもそうですが、権力者がその力を誇示するために金が象徴的に使われることは世界共通の図式なのかもしれません。

2. 足利義満を取り巻く金に関すること

 義満は、能の世阿弥を重用しました。ただ、後に世阿弥は義満の怒りに触れ佐渡に流刑となりました。不思議なことですが、世阿弥は佐渡で、「金島書」という小謡曲舞集を記します。佐渡は、平安のころから金がとれたとのことです。世阿弥は佐渡を金島と表現しています。

 偶然の一致ですが、このように義満の金閣寺、義満が重視した世阿弥と佐渡と、その周りに金がありました。秀吉と利休の間にも金をめぐる緊張感、確執がありましたが、偶然のことながら、室町時代以降の権力者の周りに金をめぐる問題があるのは大変興味深いところです。

 日本の歴史における権力構造は、中国のような強大な中央集権的権力ではなく、地方分権と将軍権力に代表されるような中央集権的権力が併存する形をとっていると考えられます。それが中央であれ、地方であれ(奥州藤原氏のように)、権力の誇示と権力の力で極楽浄土を表現するという欲求が日本の武家社会にあり、それに金がシンボリックな意味で使われてきたように思います。

3. 終わりに

 豊臣秀吉、奥州藤原氏、そして足利義満。自分の権力を誇りつつ、極楽浄土を表現して自分が安寧な社会を作っているのだ、と権力者は主張するために、その表現として金を使っていたと考えられるように思います。

 金をめぐる環境も大きく変わってきています。古代からある人類の金へのあこがれは、義満の時代から変わっていないでしょう。しかし、また新しい環境の中で、義満の時代とは全く異なった金のあり方が現れ始めています。

 今回は、足利義満を取り巻く金に関すること、と題してお話ししました。